|若き時代に味わった、ブラジルでのある出来事
 サッカーに対する情熱は誰にも負けない。そう強く信じていた小林少年。しかし、彼は自分の常識を覆されるような経験もしていた。
 ある時、小林の所属チームがイギリスの国際大会に参戦することになった。そのメンバーから、彼は漏れてしまった。
 すると、一つ上の学年のチームが同時期にブラジル遠征に行くことになった。コーチから「お前一人日本に残っても仕方がないから、一緒にブラジルに行くぞ」と言われ、帯同することになった。
 当然、本来出場できると思っていた大会に行けず、悔しくてたまらなかった。それでも、ここで小林が目にした現実こそが、彼のサッカー人生の転換点になった。

「僕は当時から負けず嫌いだったし、ハングリー精神があると思っていました。自分に対しても厳しくできるとも。でも、甘かったんだなと感じたんです。
 僕が行ったのはブラジルの小さな町クラブだったんですけど、選手は十代前半にしてすでに少しずつ給料をもらっていて、親に仕送りをしていました。ただ、僕らと戦って彼らは3-0で負けました。すると、目の前で彼らは全員クビになったんです。さらに向こうの監督が『君たちのチームから数人、うちにほしいんだけど』なんてこともすぐに言ってくる。僕、本当にビックリしました。すごい世界なんだと。それまで1週間、同じ寮で生活していた選手たちが、いきなりクビになってみんないなくなってしまった。本当にショックでした。
 その時に思ったんです。僕はまだまだ、守られた世界でサッカーをやっているんだと。国が変われば、こんなにも自分自身をかけてサッカーをしている人間がいるんだと。自分の人生はもちろん、家族のためにもプレーする。その時点で、いまはまだ勝てないと思った。没頭なんてものじゃない、彼らは魂でサッカーをしていたんです」

 隣で聞いていて、言葉が出なかった。飽食の時代であるいまの日本で、同じような状況はもちろんありえない。同じ精神を持つことも、もしかしたら難しいかもしれない。ただ、プロサッカー選手になるということは、国が違えど、遅かれ早かれ生存競争にさらされるのである。避けては通れない現実世界。だからこそ、小林はいま一度、幼少期に大切になることについて触れた。

 「難しいテーマではあると思います。でもやっぱり親や周りの大人から、どんな教育を受けたか、どういう関わり合いで自律心を持てるようになれたか。それが一番大切になると思います。うちは裕福な家庭ではなかった。ただ嘘をつけば叱ってくれる大人がいて、自分が没頭することを応援してくれる大人がいた。まっすぐにサッカーと向き合える自分自身が、そこで出来ていったのだと思います。
 周りの環境のせいにしてはいけない。ただ、子どもの環境を作るのは、間違いなく大人の責任です。人間は子どもの時代から、人としてどう生きるかがすでに始まっている気がします」

 多感な時期だからこそ、吸収する力も底知らず。子どもの大きな可能性と選択肢を狭めることなく、大人が寄り添えるか。子どもが自分自身で道を切り開き、何かに直面し、そこで深く感じることができれば、小林が経験してきたような成長線を描けるのかもしれない。

text by 西川結城(Yuki Nishikawa) 大学在学中より横浜FCの専属ライターとして活動を開始。2007年よりサッカー専門新聞『EL GOLAZO』の記者として数多くのJリーグチームと日本代表を担当。海外クラブで活躍する本田圭佑や吉田麻也も若い時代から取材。現在はサッカー、スポーツ誌各媒体にも寄稿している。