『慮る(おもんぱかる)』という言葉がある。辞書を引くと、「周囲の状況をよく考える。思いめぐらす」と書かれている。これに『気を配る』の配の文字をつけて『配慮』にすると、他人を思いやるという意味になる。日本人が美徳とし、時に海外からも高く評価される所作だ。
 日本では、子供の頃から配慮の精神が養われていく。家庭教育、学校教育で、他人に迷惑をかけないことが社会生活では大切になると説かれ、それが国民の人格形成に大きく関わっている。ただ、グローバルな競争現代において、この日本人の美徳が時に世界と対抗する上で足かせとなってしまうこともある。それは、サッカーにおいてもしばしば語られることである。
 欧州の舞台でプレーする日本人選手たち。彼らの多くは、本場の環境で長く活躍するための秘訣に「自己主張」を挙げる。配慮の精神のもと、他人の顔色を伺う傾向のある日本人が、例えば勝負にさらされる場面では意志や考えを押し出せるのかどうか。どこかで苦手にしている人もいるだろう。
 外国では個人主義が当然のように浸透している。その態度は、いわゆる我々が連想する日本人らしさからは少々かけ離れている。自分をどこまで表に出すべきか。我々にはこのジレンマがつきまとう。

 実際に現在オランダでプレーする小林祐希に、その話を振った。
「チームのバランスを考えてプレーすべきという意識と、自分らしさをもっと前面に押し出してプレーしたいという思い。確かにその両方で揺れる経験はあった」
 ただ、そんな葛藤も今の彼にはないという。
「気を配る。これはもう、日本人の良さですよ。僕も今ではそこで勝負せずして、何で戦うかというぐらいに思っています。僕らが他人に対して持つ、“察する”という感覚は、外国の人にはあまりないように感じますから。思いを口にすることは大事だけど、逆にみんな言わないと何もわからない。僕らのように空気を読んだりして理解するということはない。だから最近ではオランダでも、自分は日本人で良かったなと思うことがたくさんありますよ」

|気を配ることの尊さ。
配慮と遠慮は、別物である

 アスリートとしての一面だけではなく、いまではオランダで美容室を経営するなど、社会人として現地とさまざまな接点を持つ小林。そこで再確認したのは、日本人の美徳やその価値の尊さだった。
「例えば、こっちのホテルはサービスが細かくないのに星付きだったりする。でも日本はビジネスホテルですらすごいですよ。気を配るというのは、他人を喜ばせたり、他人のために率先して何か行うことでもあるけど、それって瞬間的には自分にプラスにならないことだってある。ただ日本人は、そういう振る舞いが自分にもポジティブに返ってくることや、周りの環境を整えれば自分の今後の成功にもつながるということを、子どもの頃から徐々に理解していく。これは外国にいればいるほど、すごいことなんだと実感します。
 自己主張するよりも、他人を配慮する国民性。日本が世界とサッカーで戦う上で、少し足を引っ張っている部分ではあるのかもしれない。とはいえ、それは明らかに日本人の良さでもある。だから難しい部分はある。日本人の美徳は、自己主張の大切さとは相反するところがあるから。でも、世界で勝つためには、ここは理想を追求して両面持つこと、その両面を使い分けられる人や選手になっていくことが大事なんじゃないかと今は思っています」

 サッカー選手のみならず一人の成熟した人間を目指す上で、幼少期から自立(自律)に向けた成長アプローチを意識することをこのプロジェクトは本筋としている。自らの思考や哲学を持ち、外に向けても表現する。それは立派な自立(自律)した生き方である。だからこそ子どもの頃から、そうした方向性のもとで教育することの大切さも世間では唱えられる。
 一方で小林の話にもある通り、日本で育った我々には配慮の精神が宿っている。自立(自律)への意識と、他人への思いやり。この共存について、小林はあるヒントを口にした。
「配慮ではなく、遠慮という言葉があるじゃないですか。気配りすることと遠慮することは、同じようにとらえられているかもしれないけど、それは実は違うものだと思います。他人に気を配って行動する、サッカーならプレーすることはものすごく大切であり必要です。でも、そこに遠慮はいらない。遠慮というのは、どこか消極的な行動なんです。僕は遠慮ではなく配慮しながらプレーしている」

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